HOME > そばへのこだわり
さて、そば通の方であればすでにお聞き馴染みの「へぎそば」。
へぎそばといえば近年では関東でも知られた名前になりましたが、ではこの「へぎ」とは一体なんでしょう?
この「へぎ」、実は「剥ぐ=はぐ=へぐ」のなまりで、木を剥いだ板を折敷にしたもののことであり、ざるそばやせいろ同様、「へぎ」という器に盛られたそばのことを言います。
また持論ではありますが、私どもではへぎに一口ずつ美しく盛ったそばを、“手振り・手びれ”と呼んでおり、これも織物をする時の糸を撚り紡いだ(よりつむいだ)“かせぐり”などからきた手ぐりの動作を言ったもので、全国的にも珍しい織りの目に模した並べ方も織り文化の美的感覚・感性から生まれたものと推察できます。
さらに付け加えれば、この手ぐりはフノリをつなぎに使った滑らかなそばでなければ、美しく盛り付けることが出来ません。手ぐりにしろフノリつなぎにしろ、「へぎそば」は長きに渡る織物文化とそばの食文化が融合して生まれた賜物なのです。
そば切りは江戸時代にはじまり、新潟県は魚沼地方を中心にそばの栽培が行われてきました。
結婚式の祝い膳や大晦日、お庚申様、節句、そして盂蘭盆(うらぼん)の時などには、農家が自家用に作ったそばを石臼で挽き、つなぎに工夫を凝らしてその味を自慢しながら振る舞います。
当時この地方では小麦の栽培は行われておらず、そばのつなぎにはもっぱら山ごぼうの葉や自然薯などを使っていました。
ただ、この地方は織物の産地であり、織物に強い撚(よ)りをかける為にフノリ(=布乃利)という海藻を使っていましたので、このフノリは容易に入手できる環境だったのです。
そこで重太郎は「このフノリを使ってそばはできないだろうか」と研究を重ね、現在のフノリそばを完成させたのでした。
また、品質向上の為、小嶋屋三代に渡ってよりよいフノリを捜し求め、産地開拓も行ってきました。
「フノリ=布海苔」という海藻 現在、下北半島をはじめ、全国の厳選した地域から仕入れております。 |
おいしいそばの条件は“三たて”と称されます。
「挽きたて、打ち立て、茹でたて」がその三つですが、何よりも大切なのは“そば粉”の品質。これはもちろん玄そば(そばの実)自体が良質なものであることが第一ですが、どんなにいい玄そばも挽き方次第でその味を台無しにしてしまうことにもなりかねないのです。製粉とは文字通りそばを粉にすることですが、これを単純に考えてはいけません。
製粉によっては口当たりやのどごしなど食感の悪いそばが出来上がりますし、製粉工程に問題があると、せっかくのそばの香りを失ってしまうことになるのです。また季節によりますが製粉してから三日~一週間で酸味が出て劣化していきますので、味を大切にするそば屋は鮮度を管理するためにも自家製粉にこだわります。
そば製粉の方法は大きく分けて石臼挽きとロール挽き(機械挽き)の二つがあります。農家ではもともと石臼でそばを挽いていましたが、時代が進むにつれてそば製粉も産業化し、製粉スピードが遅い石臼挽きに変わって効率的に大量製粉できるロール挽きが主流になってきました。それが最近では石臼挽きがふたたび注目を集め、石臼挽きのそば粉を使う店が増えているのです。特にそばの味にこだわる手打ちそば屋や老舗そば店で、その傾向が高まっています。正直言いますと、石臼挽きのそば粉は製粉効率が悪く、コストも高い。
もちろん小嶋屋総本店でも石臼で自家製粉したそば粉を使ってのそば打ちですがこれは何も懐古趣味だったり演出性を狙ってのことではありません。
理由はただ一つ。石臼挽きによる製粉が良質のそば粉を作り出すからなのです。
「ロール挽き」と呼ばれる機械製粉では、連続的に並んだロールがそばを挽き、段階によってふるいにかけ、各々のそば粉を取り出します。
しかし、当店は石臼自家製粉していますので、そば殻を取り除いた甘皮から全てを挽きこむ「挽きぐるみ」となります。そばの持つ味・香り・そして栄養成分等、玄そばの持つ品質を最大限に生かした製法であり、小嶋屋総本店の風味・品質を支える大切なこだわりのひとつです。
当地区(十日町市・魚沼地方)は、日本一の米どころとして名前がしられていますが、古くから焼畑の耕作や救荒作物として栽培されてきました。
昼夜の寒暖の差も手伝って、コシヒカリ同様に甘み、旨み、香りをたっぷりと含んだ玄そばが栽培されてきました…
三代目重則は、地元産のより高品質な玄そば栽培が出来ないものかと、行政・JA・そして農家の方々と一体となって取り組みました。平成14年に、そば粉は地元「魚沼産」のみで打ち上げた乾麺「布乃利魚沼そば」を開発。そして平成15年、地元十日町市(旧川西地区)において、そばの新品種「とよむすめ」(旧名北陸2号)の栽培を開始します。これは風味も良く、多収であり、また「ルチン」の含有量も通常の品種の1.3倍もあるといわれる期待の新品種。
試験栽培や種子用に交雑を避けて大切に育てた結果、平成19年度産より、十日町市旧川西地区において、全ての品種がこの「とよむすめ」に統一され、より高品質なそばの栽培が可能となりました。 現在、当社商品「布乃利魚沼そば(乾麺)」に使用するそば粉はすべて「とよむすめ」に統一。「生そば」につきましては、この「とよむすめ」と北海道産の玄そばとをブレンドして生産しております。
麺に含まれる水分の比率の事を加水率と呼びます。
この加水率が低いと伸びやすく、高いとしっとりしたモチモチの麺になると言われています。
当店の生そばはそば粉100%です。小麦粉を使わずに加水率を高めるのは、理論的にも技術的にも非常に困難な事であります。
一般的な生麺の加水率は35%位といわれていますが、小嶋屋総本店の生麺はそれよりも多い多加水麺で作られています。その製法は、長年に渡るフノリ加工、水回し・こねの技術、そして職人の技と勘…先人から受け継がれた伝承の技術の賜物であります。
美味しさの秘密はここにもあります!
昭和40年代、本物のそばを追及するため、二代目申一は深井戸の掘削に取り組み始めました。そして昭和42年、町では初めての深井戸を掘り当て、雪解けの美味しい地下水の恩恵を安定して受けられるようになったのです。
その恩恵は40年たった今でも受け継がれております。
昭和23年、新潟市で開催されたインターカレッジに、天皇陛下のご名代として秩父宮妃殿下がお見えになった時のこと。
当時の岡田県知事から、小嶋屋のそばを昼食に召し上がって頂いたらどうかというお話がありました。
皇室献上といえば大変名誉な事、この件に関して千手町では議会にかけたほど慎重だったとか。
当日は生そばを車に積んで行き茹でたてを差しあげたところ、妃殿下はたいそうお気に召したようで「お礼が言いたいから」と小嶋屋初代 重太郎をお部屋に呼んだそうです。ところが、当時は背広などパリッとした洋服がなかった時代。あわてて県のおえらがたから背広を借りてかしこまった事、そんなエピソードが残っています。
これ以後、小嶋屋総本店では現在の上皇上皇后両陛下に至るまで5回の皇室献上を賜り、公式行事の際にもご所望を承っておりますが、この初めての皇室献上がその後の小嶋屋の大きな自信になったと、心から感謝しております。