小嶋屋の系譜と名前の由来

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へぎそばの源流をたどる 小嶋屋の系譜

小嶋屋総本店は、1922年(大正11年)に初代小林重太郎が、現在の本店所在地である十日町市中屋敷(旧中魚沼郡川西町木島町)において開業いたしました。
その後、二代目として重太郎の長男の申一に継承され、現在は申一の長男である重則が三代目店主として継承、新潟県内に8つの直営店を展開しております。そして2022年には創業100周年を迎える地域を代表する老舗のへぎそば店です。

他にも小嶋屋総本店以外に、「小嶋屋」と名のつく店は、十日町市に本店のある株式会社小嶋屋と、長岡市に本店のある株式会社長岡小嶋屋があります。これらは二代目の申一の時代に十日町と長岡に出店し、各店の経営を兄弟にまかせた店舗で、小嶋屋総本店とは別の独立した店舗と位置づけられました、それ以降、現在においても各店とも独自の味づくりに励んでいます。系譜は以下の通りです。

小嶋屋の系譜

「小嶋屋」の名前の由来 そして、込められた想い

大正11年、当店の初代「小林 重太郎」は、新潟県中魚沼郡千手村木島(現在の十日町市中屋敷)にて、小林の姓から「小」、木島地区の「島」と取り「小嶋屋」(または小島屋)という名のそば専門店を開業したのが由来となります。
※昭和40年頃まで「しま」の字は「」「」どちらも使っておりました。

昭和6年の広告

地元紙「十日町新聞」に、昭和6年7月に掲載された当店の広告。

※当時は「中魚沼郡千手村木島」という住所でした。
尚、当時はこの地で旧国鉄(現JR)の水力発電所の建設工事が再開した年です。県内外から来られた多くの建設関係者から御愛顧頂いていた為、工事現場近くに分店を開業しました。(昭和20年代、工事終了と共に閉鎖)

昭和30年の広告

地元紙「十日町新聞」に、昭和30年6月に掲載された当店の広告。「小嶋屋」「小島屋」両方使われています。また当時は「千手そば」という名前で親しまれていました。

昭和46年、個人商店であった当店が法人組織化する事、そして独自で乾麺の生産販売に踏み切る事をきっかけに、商号を「有限会社小嶋屋本店」と改め、「しま」の字は「嶋」に統一しました。 「しま」という漢字は、同意語ながら「嶋」の略字として「島」の方が一般的に使われる事が多いようです。
この「しま」の漢字の由来は、「海に浮かぶ【山】で、【渡り鳥】が羽を休める様子」を表したと言われています。略字ではない「嶋」を選んだ背景には、遠くに羽ばたく渡り鳥のように、このそばを全国に広めて行こうという、店主の願いも込められているのです。

昭和62年、有限会社を株式会社へ変更。併せて商号も「株式会社小嶋屋総本店」と変更し、現在に至ります。時代と共にインフラも整備され、お陰様で現在は日本全国から御注文を頂けるようになりました。ご愛顧頂いているお客様に、心から感謝しております。

昭和52年3月~平成17年6月まで営業した旧店舗
昭和52年3月~平成17年6月まで営業した旧店舗

妃殿下お褒め 光栄の「千手そば」

左の図にもある通り、当店は「千手そば」という名称で親しまれてきました。当地が市町村合併する前の地名である「千手村」から名付けた名前です。その文字通り、当地には京都清水寺の本尊と同木の姉妹仏とも言われる、立派な千手観音仁王像があります。
その「千手そば」は昭和23年、初の皇室献上の栄誉を賜ります。その時の地元紙の記事には「妃殿下お褒め 光榮の千手そば」と記されております。

今は「布乃利 生そば」に名前を変え、店名も「小嶋屋総本店」と改めましたが、昔を知るお客様からは、当店の事を「千手の小嶋屋さん」と今でも親しみを込めて呼んで頂いております。

地元紙「十日町新聞」昭和23年7月25日掲載の記事
地元紙「十日町新聞」昭和23年7月25日掲載の記事
仁王像
仁王像
千手観音
千手観音